町の学校 校長日記

町の学校校長 

 

全国を駆け巡るCB総合研究所所長 の旅日記

 

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生ごみが自治体と企業、そして市民の協働を誘発する

先日総務省の仕事で訪れた埼玉県日高市役所から民間のセメント会社の工場を望んだのが次の写真です。 日高市内から出る生ごみを発酵させ、セメント原材料に混ぜてセメント製品を造る。日本では最大級の規模とか。焼却工場がいらなくなり、セメント焼成用の石炭使用量も減り、経済的な理にもかない、かつ二酸化炭素の発生量も低減することが可能となります。 21世紀のエコ時代に相応しい生活・産業システムと言えるでしょう。 ☆細長いベルトコンベアのロードが印象的なセメント工場 ☆ エコロジーの先進事例(生ごみの利活用施策)として、そこから自治体と地元企業、そして市民のゴミ収集に関する協働作業が垣間見えてきます。環境問題に対する市民意識も高まり、実際にゴミの量も減っているそうです。 ★ 日高市の情報はこちらから

創作版画集『村の版画』に想うこと

小生、創作版画並びに川上澄生を再び注目している。 38年前の学生時代は、愛知県岡崎市生まれの山本鼎の創作版画『漁夫』から入門したが、最近は地域コミュニティとの関係から生まれた『村の版画』(1925年刊)を特に気にしている。 *出典:宇都宮美術館「版画をつづる夢」2000年の『村の版画』通巻第一号(1925年)表紙 ☆ 山本鼎といえば、あのキリンビールの麒麟のラベルを小口木版で彫り上げた人という方が分りやすいだろう。創作版画という言葉を世に広めた人でもある。 ☆ 栃木県河内郡姿川村(現・宇都宮市姿川地区:人口4万2千人)という地域コミュニティ(明治22年の町村制で成立し、昭和の初めには人口8千人ほど)の風景や暮らしをモチーフに、1925(大正14)年~1934(昭和9)年までの9年間(通巻で19号)にわたり、姿川村の中央にあった現・姿川中央小学校(当時は姿川尋常高等小学校)の教員仲間(これは欧米で言うところのアソシエーションにあたる)が1923年ころから学内に版画の同好会を結成し、教科の一つである図画工作の自由教育と連動しながら、自分たちの版画作品を『村の版画』と題して発表し続けたのである。地域コミュニティという観点からとらえれば、わが国初の創作版画集といえる。筆者は、明治22年の町村制導入後の姿川村の郷土誌や姿川大観、宇都宮市史などを栃木県立図書館等から取り寄せ、地域コミュニティ(姿川村)の成り立ちを研究分析した。 * ☆「村の版画」通巻18号(1932年収載)松岡勇の年賀状(筆者蔵) * 版画制作の指導的立場にあったのが、村内を東西に通過する国鉄日光線鶴田駅前に寄宿(「村の版

岡山の閑谷学校に日本の社会教育の真髄を見る

CB総合研究所が運営する”町の学校”の今後の参考にしようと、時間を見つけて講演先から訪れた岡山県備前市の閑谷(しずたに)学校を視察してきた。 閑谷学校は、江戸前期の岡山藩主池田光政公が1670年にその設立を家臣の津田に命じ、講堂はその3年後の1673年に完成した庶民のための学校であり、岡山城の藩士のための学校と並立で設立したものである。 * * 校内を散策し、いくつか驚いた点があったので思いつくまま以下に列挙してみた(時間の関係で充分なヒアリングができなかったため、主観を交えた私見である)。 *釉薬を使用しない備前焼技法で作られた赤い瓦は重量感のある大屋根を演出している ☆ 1)藩士のみならず、将来の村の幹部候補生(8歳~20歳)を養成した学校(町の学校の手本となる)である * 2)藩の財政と切り離し、学校田(所領は279石)や学校林を設けて学校運営の独自性を高めた(寺の寺領と同じ扱い) * 3)授業の内容は儒教(孔子)が中心であったが、読み書きはもちろんのこと、現代のリベラルアーツ的な教養面(世情、習字、漢学など)も教え、講義した * * 4)1年間寄宿生活をして勉学に励む全寮制であった * 5)岡山藩内ばかりか、他領の一般子弟も受け入れた * 6)定員は1年間で50名ほどであった(以外に少ない?) * 7)講師は藩校と同じ人物があたった、とのことである。 * *講堂内は今でもしっかりしている。日本の木材の良さが活きている和の空間である *構内の西洋芝は江戸期にはなかったものだろう ☆ 8)330年を経ても、いまだに内外とも立派な講堂(国宝)である * 9)石塀をめぐらせ、学

電鉄会社も買い物・生活支援ビジネス(CB)を始めている

全国いたるところで目につく少子高齢化社会への社会現象。 60歳以上のわが国の総人口に占める割合は30%を超えている。65歳以上でも26%の高い水準だ。 東京でも今年から乗降客数が減少していく大手電鉄会社。 ☆ すでに沿線住民を対象とした買い物・生活支援ビジネスを始めている。 ☆ 価値創造のビジネス(コミュニティ・ビジネス)だ。 ☆ 東京近郊は空き家が増えている。このまま進めば数年後に空き家は1000万戸になる。 * 坂が多いニュータウンに住むシニアのための買い物支援の一環だ。 * 沿線の駅近くで学童保育も始めている。 * 子どもには、祖父母、両親を入れると6つの財布がある。そこに企業は目を付ける。 * * 戦後イギリスの福祉政策は、ゆりかごから墓場までの充実した福祉国家を推し進めたが財政負担増で結局破たんした。その後深刻な英国病へ陥る。 * 戦後70年、わが国は民間電鉄会社が沿線価値の向上として、上記のように”子育て”から”葬祭会館”まで事業展開する自己負担による本格的な高齢社会に突入した。 * 以上のように少子高齢社会はプラス思考なら新規市場が広がるチャンス社会なのだ。 * そして先進国の高齢社会は、人類共通の課題だ。その解決策が見つかれば、世界的なマーケットの広がりが充分期待できるものとなるのだ。 * (http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/ より転載)

倉吉の赤瓦の街並みに東洋のフィレンツェを見た

昨年にひき続き、今回コミュニティ・ビジネス塾(女性起業塾)で訪問した鳥取県倉吉市の赤瓦の街並みとたくさんの小さな橋に、私は東洋のフィレンツェを見たような気分になった。 例えば、フィレンツェのミケランジェロ広場が打吹公園に、世界遺産のフィレンツェの歴史地区は倉吉白壁土蔵群、すなわち国の重要伝統的建造物保存地区に、アルノ川は町の中を流れる玉川に、メディチ家は倉吉淀屋に、ウフィツィ美術館の天使は天女のモザイク壁画に、ヴェッキオ橋は商家をつなぐ多くの架け橋に、大聖堂(ドウォモ)は明倫地区の円形校舎に置き換えることができるだろうか。そうすれば新しい物語がそこから生まれてくるものだ。観光ツーリズムには、過去の遺産も大切だが、未来志向の新しい物語も人を呼び込む新しい手段の一つだ。 * 赤瓦の街並みと多くの橋の風景にかって訪れたイタリアのフィレンツェの街並みがダブって見えたのは私だけだろうか。玉川をはじめもっと川に物語性を持たせてもよいのでないか。 * 私の直観だが、倉吉には生活観光が似合うことだろう。 * 白壁土蔵と赤瓦の家屋に借景の打吹山がよく映える。この山には羽衣の天女伝説がある。 * 写真は、女性起業塾のワークショップ風景。みんな熱心に聞き、討議する。 *

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